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霧や影のちらつきに似て(2) [尾崎翠]

 1896年12月20日鳥取県岩井郡において、後に雑誌『女人藝術』に「映畫漫想」を連載した作家、尾崎翠は生まれている。尾崎が生まれた時期、まさにパリで映画が誕生し、それが日本に越境し、大阪において人々は動く画に驚きの声をあげた時期なのであった。当時のニューメディアであった映画は、まさにこの時期の人々に新たな視覚体験を与え、そのために大きな影響を与えたように思う。そうでなくとも時代は大衆の時代、スピードの時代へと突入してゆくターニングポイントだったのだから。その芸術的な反映としては未来派が思いうかぶ。マリネッティの「未来派宣言」は日本でも翻訳されて紹介されたが、その翻訳者は森鴎外であった。その後、普門暁によって未来派美術協会が設立されるが、この協会には稲垣足穂や尾形亀之助、柳瀬正夢などが属していた。これら未来派美術協会に属した3人はともに尾崎翠よりも少し年下で1900年生まれである。映画の誕生期以降、未来派に限らず、その視覚表現に大きな変化が生じたのを感じる。もちろんそれは映画というメディアの影響だけではない。未来派が論じたように機械文明は新たな視覚体験を生み出していった。高速鉄道車両の窓からの視覚、大型優秀船による海上での視覚体験、簡単に体験はできなかったかもしれないが飛行機、飛行船による空中からの視覚体験など、従来では経験のしようもなかった新たな視覚体験が可能になったのが映画誕生以降の時代であった。移動体の速度は我々の視覚体験を変えてしまう。高速鉄道車両の窓から見える風景は徒歩で風景の中を歩く経験とはまったく別の風景を見せる。それはまるで一編の映画のようでもある。車窓というスクリーンに映し出されてゆく流れさる風景という視覚体験。地方出身者が上京するにあたり、おそらくは新たな視覚体験として驚き接したのであろうと思う。鳥取から東京に向った尾崎翠はどのように列車からの風景をみたのだろうか、実に興味深い。尾崎と同じ年生まれの宮沢賢治、「銀河鉄道の夜」の作者である彼は東京に向う列車の窓からどのような景色を見、どのような思いを抱いたのだろうか、これまた興味深い。映画がその表現を含めて発展し、日常の視覚体験も大きく変化したのは1920年代という世界的な変革期であり、宮沢賢治や尾崎翠や稲垣足穂や尾形亀之助、柳瀬正夢などはその時にいずれも年若く、こうした視覚体験によって自らの表現に大きな影響を受けたであろうことは容易に想像できる。
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