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なぜ落合なのか・・・・ [落合]

新宿区の落合に住むようになってから10年以上になった。はじめは、便利な落ち着いた町。新宿に近いわりに静かな町、といった印象だった。散歩してみると随所に古いけれどユニークな、興味深い建物が多く、驚かされた。引っ越してきた当初は、目白文化村の存在すら知らなかった。古い洋館建築には興味があったが、そのうちにね、と思っている間にどんどんと姿を消してしまい、今はない名建築を思うと早くに歩いて見ておくべきだったと後悔している。

そもそも、落合地域を文化史的な観点で散歩してみようと思ったきっかけは、詩人にして美術評論家の瀧口修造であった。瀧口が自宅の庭に実るオリーブを瓶につめて知人に贈っていたのは有名な話であるが、このオリーブのせめて子孫が旧瀧口邸跡地にないものだろうか、と瀧口ファンの詩人 未生響さんと話したことがあった。そこで古い詩の雑誌を調べ、瀧口の住所を調べ、西落合の住所地を訪ねたのであった。私の自宅から歩くとさすがに遠いが、それでも歩けない距離ではないので徒歩で探しあてた。残念ながら跡地には庭すらなく敷地いっぱいに新たなお宅が建設され、オリーブの子孫はそこになかった。ただし、近所の方の話から瀧口夫妻が毎年楽しみにしていたという隣地に咲く枝垂桜を見ることができ、それは夢の中の出来事にも思えた。

08年瀧口櫻.JPG
旧瀧口邸の隣地に咲く枝垂桜











落合文化散歩の第二弾は、前衛芸術集団MAVOを率いた村山知義のアトリエ、通称「三角の家」の跡地の探索だった。雑誌「Mavo」に記載されたMavo発行所が上落合の村山の自宅であったため、古い地番ではあるが、村山の三角の家の住所がわかったので、当時の地図と照合して訪ねてみたのだった。村山のアトリエ跡までは10分程度の距離であった。もちろん空襲で焼かれてしまっていて、当時の面影は微塵もない。そして、むしろ、MAVOの時代よりも村山がプロレタリア芸術運動に身を投じてから、上落合に多くのプロレタリア作家や演劇人などが集まって住み、ナップ(全日本無産者芸術連盟)本部が置かれた時期の「落合ソヴィエト」と呼ばれた時期に興味を覚えた。アヴァンギャルド芸術には興味をもってもプロレタリア芸術に関心をもったことがない私にとって、落合に住まなければ出会うことがなかっただろうと思う世界であった。

その後も落合地域と1920~30年代については、常に気にしてきた。そうしていると、様々な情報は向こうから来るもので、展覧会や本、資料などから気になることが目に入ってきた。
一例をあげれば、それは戦前の挿絵画家である竹中英太郎の展覧会パネルに「下落合に住んでいた」の記載を見つけるとか、同様に蕗谷虹児の展覧会で「下落合に住んだ」との記載を見つける、詩人の熊田精花がデザイナーの山名文夫にあてた手紙の中の一通に上落合の下宿からのものを見つける、などであり、そうした糸をたぐるうちに、また興味深いテーマなり事実に出会うことになった。

このブログには、そうして出会ったテーマを中心に書いてゆくつもりでいる。
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SILENT

こんにちは
すばらしい情報量ですね
メールアートを楽しみに読ませていただきます
ブログもアートな内容が最近は多いですね。
by SILENT (2009-05-15 20:43) 

ナカムラ

SILENTさま:コメント、NICEをありがとうございました。メールアートは竹中英太郎が一段落したら・・・と思っています。どうぞよろしくお願いします。
by ナカムラ (2009-05-15 23:20) 

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