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雑誌『フォトタイムス』とモダーンフォト(3) [落合]

 1930(昭和5)年8月号にのちの瑛九、杉田英夫が「フォトグラムの自由な制作のために」を執筆する。フォトグラムの実作は芸術写真家たちこそ問題にしないけれど、実業的、商業的、広告的写真界においてはその応用はなされんとしている、と杉田は述べる。木村專一が最初のフォトグラムの試作を行ってから1年を経ているが、杉田はフォトグラムを作品としてではなく、ポスターの試作として制作している点が面白い。ほかでもそうだが、単独の写真芸術としてではなく、大衆に訴求するためのメディアとして写真を応用しようとしている点は瑛九(杉田)も同様である。9月号のモダーンフォトセクションには板垣鷹穂の「機械的建造物の乾板撮影」が掲載される。

現代の藝術は、現代的環境の表現を必要とする。現代的環境の諸相の内で、最も現代らしい性格を示してゐるのは、断るまでもなく機械的建造物である。ここで、現代の藝術は、機械的建造物の性格的表現を、新しい目標として求めなければならない。

やや強引な論理ではあるが、実際の事例として堀野正雄との共作による優秀船の機械的建造物のスチール写真をあげている。板垣論文に続いて堀野正雄の「機械的建造物を撮影して」が掲載される。ル・コルビジェが現代建築の規範を大汽船に求めようとようとしたことをもとに、板垣鷹穂の新興藝術理論をもとに入港してくる大型船舶の撮影を行ったのであった。そのレポートが掲載されている。11月号、堀野は「新しきカメラへの途1」をモダーンフォトセクションに掲載する。

現代の環境を寫眞に表現することが、私の所謂「新しいカメラへの途」へ進行する一つの實驗である。一九三〇年四月から八月まで、優秀船に就いて、機械的建造物の寫眞的表現に専念した後に、一般建築、橋梁、鐵骨建造物、都會の性格描寫を行ふことが、第二の目標として選ばれた。板垣鷹穂氏の指導に基いて實驗した私の仕事を、系統的に報告したい目的から、私は此の欄を計劃した。

実際の作例として永代橋の写真が掲載されている。12月号には川崎市・三井埠頭の大型クレーン、1931(昭和6)年1月号では川崎市・東京瓦斯製造工場のガスタンク、2月号では濵松市・濵松機關庫における機關車というように実例が掲載された。この一連の連載は『フォトタイムス』編集部が考える新興写真の一つの方向性を示している。板垣の主張した機械美学を堀野が実例によって解説してゆく形式でわかりやすい。また、1930年12月号に堀野は「機械美と寫眞」という本格的な評論も書いている。
 一方、主筆の木村專一を中心に「新興寫眞研究會」が設立された。1931(昭和6)年1月号に「新興寫眞展覧會概評」が掲載されている。前年の11月15日から19日まで銀座オリエンタル階上において出品点数51点での東京展を開催した。出品者の一部が記載されているので列挙する。西山清、木村專一、堀野正雄、佐藤黒人、渡邊義雄、平野進一、伊達良雄、吉岡敏三、吉村秀也、武富達也、飯田幸次郎。

新興寫眞とは何か? それはどこまでもXであり度い、Xの答えが判然とした時、新興寫眞研究の意義は消滅される。寫眞家の美の追求は、在來の意識や、主張や、プロセスに對する解釋では、明らかに行詰つた。行詰つたばかりでなしに、社會的に、時代的に、取残された残骸でしかあり得なくなつた。藝術は時代の生産であり、一つの社會組織の上層に築かれるべきところのものであるに關らず、寫眞は時代及その社會組織無視の潮流を下らんとするに至つた。茲に於て吾等はこの残骸でしかあり得ないところの在來の意識や主張やプロセスに對する解釋の一切を解消して、時代的社會的意識を以つて新しく見直さうと云ふのが、この會を創設した主眼點である。

上記は主催である木村專一が新興寫眞研究會設立主旨について書いた文章である。さまざまな分野の写真表現を包含し、カメラの自由主義的展望が遺憾なくなされた、と自己評価している。第二囘新興寫眞研究會 寫眞展覧會は1931(昭和6)年1月20日から24日まで銀座松屋において開催された。また、第二囘新興寫眞關西展を2月20日から25日まで大阪三越別館3階を会場に開催された。そして、第二囘展を機に機関誌の発行を行うことになる。新興寫眞研究會としての活動ではないが、この時期の新興写真を論理的に定義したのもまた堀野正雄であった。『フォトタイムス』1931(昭和6)年5月号の「寫壇評論」に掲載された「寫眞に於ける性格描寫」がそれである。

今日、新興藝術の主導形式を、新らしいリアリズムに見出すことは許さる可きであらう。・・・そして現在、再び寫實主義が新らしい外貌の下に現出する。然し兩者の間に横はる相對的關係は、畢竟、其の観念に於て立脚點を相違する。即ち新しいリアリズムとは―― 一.表現形式が、具體的に簡潔明瞭でなければならない。 二.表現形式を規定する技術は、機械文明の反映する合理的な観點に立脚しなければならない。 一方、百年の歴史を有する寫眞術に於ける藝術としての寫眞を考察する時、表現形式を規定する技術的分類に依れば、次の四種類に分割することが最も新しい観點である。 1.リアルフォト 2.フォトグラム 3.フォトプラスチック、フォトモンタージュ 4.ティポフォト

堀野は写真の特質から考えて、主要な表現はリアルフォト。報道写真を含めたリアリズムの重要性と機械文明を重視する新たな美学的な視点を評価している。板垣と堀野の一連の機械美学的な写真表現である。また、その写真はフォトモンタージュされメディア化してゆく。グラフ雑誌または写真によるグラフはプロパガンダ領域で発展してゆく。フォトグラムもティポフォトもやはり商業的な活用を包含しており、ポスターや雑誌広告に応用されてゆくものだ。写真のメディアとしての活用から作られてきた新たな表現を新興写真と呼んだのではないだろうか。この時代、広告もプロパガンダも大衆を魅了するヴィジュアルを希求していた。新興写真はその要求にもこたえてゆくものであった。『フォトタイムス』が考える新興写真の海外での先行実例はバウハウスのモホイ・ナジである。堀野の前述の論文でもナジを引用している。また、6月号ではフランツ・ローの「モホリ・ナジと新しき寫眞」が掲載される。8月号、堀野が「新しい寫眞家」としてマン・レイ、エル・リシツキー、フランシス・ブルギエール、モホリイ・ナギーを取り上げている。最後に8月号に木村が書いた「その後の新興寫眞運動」をみておきたい。

傾向的には寫眞印刷、又は大量生産を前提とし。技術的にはメカニズムの認識とレンズアイの肯定。對社會的にはあらゆる社會層、又は生活層に向つての廣汎な應用寫眞術の開拓が吾等の宣言した主張であつたのである。

ここまで主にモダーンフォトセクションの論文を引用しながら新興写真とはなにか、そして『フォトタイムス』と新興写真のかかわりについて考察してきた。主筆である木村專一が1931(昭和6)年8月号に書いた「その後の新興寫眞運動」での定義が『フォトタイムス』における新興写真の定義であり、とくに写真のメディアへの拡大が大きな要素であったことがわかる。新興写真研究會を自ら組織したように『フォトタイムス』は日本における新興写真運動の牽引役であった。これに堀野正雄が論理的な部分でも実作においても補強していった感がある。『フォトタイムス』編集部も堀野正雄のスタジオも落合にあった。國際光畫協會本部もプロフォト本部も落合にあった。新興写真に関わる多くの組織が落合に関係している。落合は新興写真の故郷でもあったのだった。
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