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鳥取と東京・落合の風景と(4) [尾崎翠]

4.鳥取の蒲生川と妙正寺川

 もう一つフォーラムでありがたかったのが4日午前中の「翠文学&浦富海岸ジオツアー」であった。尾崎翠の生まれ故郷である岩美町の岩井温泉に行った際のこと、町を流れる蒲生川の様子を見て、不意に落合の妙正寺川を思ったのだった。今の妙正寺川はコンクリートで護岸され、直線に整流された都会の川であるが、尾崎翠が住んだころは多くの画家が残しているように、蛇行する清流であり、村山知義と籌子の長男である亜土が書いているように「川の水を引き込んだプール」があり、そこで夏は泳いだという。また、震災後には江戸友禅の染工場が越してきたような場所なのである。涌島のところを訪ねた尾崎翠は妙正寺川を見て、故郷の蒲生川を親しく思い出したのではないかと感じたのであった。のちに杉並から越してくる林芙美子は少し上流にあったバッケとよばれる崖のことを神戸の六甲に喩えているが、そのあたりには牧場もあったようで、自然にあふれた緑の濃い地域であった。尾崎翠が「第七官界彷徨」を執筆した家の前は小川が流れており、その先は空地で桐の木や桃の木があったという。そして庭には手動の井戸があったのであった。橋浦泰雄が『五塵録』に書いたように落合は柿の産地、落合大根の産地でもあった。牧場には乳牛がいて牛乳を生産していた。
 1927(昭和2)年には現在の西武新宿線が下落合駅を始発として開通するが、まだまだ上落合は田舎だったようだ。但し、いくら田舎でもバスで新宿に出られる立地ではあるので、鳥取との落差はあったのかもしれない。だが蒲生川の葦におおわれた岸辺をみるにつけ、当時の妙正寺川の様子がだぶり、親近感をもって川岸の一軒を選んだのだと確信に似た思いが私の中に生じた。そして、そのことに感動したのであった。残念ながら雨だったこと、そしてバスの窓越しにしか見られなかったので蒲生川の写真は撮影できなかった。

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コメント 3

駅員3

モニュメントの作者を教えて頂き、ありがとうございました!
by 駅員3 (2011-04-25 20:51) 

ナカムラ

駅員3さま:日曜日にあざみ野にあるスペースナナさんでメールアートのワークショップを行ったのですが、このスペースの名前の由来がニキ・ド・サンファールが作ったキャラクターの「ナナ」だったんです。ニキはイブ・クラインやアルマンといったヌーボー・レアリスムの美術家たちとメンバーを組みました。夫のジャン・ティンゲリーともどもユニークな存在です。
by ナカムラ (2011-04-26 12:08) 

涌島武雄

よくお調べになっていて、驚きます。わたしは涌島義博の次男ですが、父が落合に住んでいたことはなんとなく聞いていましたが、わたしが東京にきて50年、その地を探索するような気もなく過ごしてきました。神楽坂の南宋書院のことは、鳥取の家の書棚に古本があったので、それで認識がありました。古本のなかには大正時代の「帝国文学」があり、父の戯曲作品が掲載されていて、そのおなじ号に森林太郎の名前で「北条霞亭」が載っていて、そっちの記憶の方がつよく残っています。

by 涌島武雄 (2017-05-03 20:32) 

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