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未来派百周年と三角の家(3) [村山籌子]

3.三角の家

 柳瀬正夢は村山知義の自宅のすぐそばの車屋の二階に住んでいたし、尾形亀之助は1923(大正12)年から1926(大正15)年の暮れまで上落合742番地にあった村山のおばが所有する借家に住居した。尾形のところには何度か村山は遊びにも行っていたようだ。現在の西武新宿線中井駅にほど近い、高台の上である。のちに田河水泡となる高見沢路直は、よく村山の自宅の前の土管で寝ていることもあったようで、村山を中心に前衛芸術家が上落合の地域にたむろしていたことになる。当然ながらMAVOの拠点、後には雑誌「MAVO」の発行所となったのは村山の自宅であり、アトリエであった。雑誌「アサヒグラフ」の1924(大正13)年3月19日号の22頁に「新洋式の住宅」と題して村山のアトリエが写真と図面で紹介されている。紹介文を引用する。

村山知義の三角の家写真「アサヒグラフ」1924年3月19日号.jpg
『アサヒグラフ』1924年3月19日号に掲載された村山知義の三角の家

「これは西郊下落合にある洋畫家村山知義氏のお住居とアトリエです。建坪十七坪、中二階、室数五間、工費二千五百圓ほどださうです。特にそのアトリエの装飾柱は三角形にして中を物入れに利用してをられ、凡てに簡素な趣の中に美しさのあるお住居です。」

このアトリエのついた三角の家において多くの意識的構成主義の絵画は制作されたのであった。

「そのうちに、自由学園の高等科の第一期生だった岡内籌子と知りあった。在学中に文学的な才能を羽仁もと子女史に発見され、いろいろの文人を訪問して記事を「婦人之友」に載せていたが、佐藤春夫氏を訪問した記事が春夫氏に激賞され、やがて、童話や童謡を書くようになり、それに添える童画を毎月私が描くようになった。」 (『演劇的自叙伝2』)

永田一修装丁『プロレタリア演劇論』村山知義1930年天人社.jpg
永田一脩装丁による村山知義の『プロレタリア演劇論』昭和5年天人社刊
                                   
 1924(大正13)年、籌子は雑誌『子供之友』の編集に従事、その1月号から童謡、童話を発表し始めていた。時期はかなり後になるが、雑誌『婦人之友』の1932(昭和7)年に連載された「ピノッキオの冒険」が私は好きである。コルロッディ作のイタリア語の物語を村山籌子が翻訳している。そして挿画は村山知義が描いている。

村山知義挿絵「ピノッキオの冒険」村山かずこ訳「婦人の友」昭和7年8月號タイトル.jpg
『婦人之友』1932年8月號「ピノッキオの冒険」(村山籌子訳)への村山知義の挿絵
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コメント 10

なぎ猫

三角の家、個性的ですね。私は昔丸い家に住みたいと思ってました。
ダリは「これからの住居は毛深いものでなくてはならない」
と言ったそうです。
by なぎ猫 (2009-08-12 11:05) 

ナカムラ

なぎ猫様:コメントありがとうございました。ダリの毛深い家には住みたくないですが、私も丸い家は考えてもいいですね・・・。芸術家の荒川修作が設計したアパート?を訪ねたことがあります。部屋が球だったりして…平らじゃなかったりするので、落ち着かないんです。部屋だけは私は保守的でいいかなと。
by ナカムラ (2009-08-12 12:52) 

やまがたん

本日も昨夜のお祭の片付けで忙しいため
訪問・応援のみです( ゚∀゚)o彡°応援!ランキングゥ!
by やまがたん (2009-08-13 07:38) 

アヨアン・イゴカー

ピノッキオ大好きです。
この村山知義の挿絵、まるで人形を見たことが無い人が描いているように見えます。が、この道化師のようにも見える大人びたピノッキオの素朴な線が、反対に魅力になっています。こんな可愛くないピノッキオを描く人は今はいないのではないでしょうか。
これに似た挿絵の『ピノチオ』と言う本が我が家にあり、時々挿絵を眺めていました。
私のピノッキオ像を作ったのは、講談社『世界童話文学全集10 南欧童話集』の挿絵を描いていた山田三郎の絵でした。
by アヨアン・イゴカー (2009-08-13 14:26) 

Krause

三角の家、今見てもセンス良く1920年代と聞いて驚きました。
by Krause (2009-08-13 15:43) 

ナカムラ

やまがたん様:コメントありがとうございます。私は仕事の後で能を見に行くつもりです。
by ナカムラ (2009-08-13 15:51) 

ナカムラ

アヨアン・イゴカー様:コメントありがとうございます。「ピノッキオの冒険」は籌子の翻訳で雑誌「婦人之友」に連載をされました。私の手元にあるのは昭和7年8月号ですが、何号かにわけて掲載されています。著作権の問題を感じて、タイトルの部分のみ使いましたが、実は本編には数多くの挿絵が入っています。もちろん、その全てを村山知義が担当、かわいくないピノッキオを描いています。良いですよ!かわいくないピノッキオを現代で描いているのはリトアニア出身でポーランド在住の画家、スタシス・エイドリゲビチウスが思い浮かびます。厳密にいえばピノッキオを題材にした新作の絵本だとも考えられますが、絵はあきらかにピノッキオです。『ハンス、ロングノーズ』だったでしょうか。スタシスも好きな画家です。現在、居間に鳥の親子のグアッシュと鳩、本を読む人の2枚の銅版画をかけています。
by ナカムラ (2009-08-13 16:03) 

ナカムラ

krause様:そうなんです、センスいいですよね。1920年代なんですよね。ちなみにこのアトリエは1944年の空襲で焼けてしまいますが、吉行アグリのためにデザインしたMavo美容院(市谷にあった)は戦後もあったそうです。見ておくんだったと後悔しています。関東大震災のあとは、村山知義やMAVOのメンバー、今和次郎や吉田謙吉などがバラック装飾社と名乗って大胆な意匠の建築を作ったようですよ。
by ナカムラ (2009-08-13 16:09) 

やまがたん

能?凄いですね
私には到底理解できる世界ではありませぬ・・・・
訪問ありがとうございます( ゚∀゚)o彡°応援☆ランキングゥ☆
by やまがたん (2009-08-13 18:33) 

ナカムラ

やまがたん様:はい、屋外で「能」でした。この暑い東京で、しかも都庁前の広場で能衣装を着て・・・・能役者さんは凄い気力だと思いました。3000人も人が入ったらしいです。いつもありがとうございます。
by ナカムラ (2009-08-13 23:43) 

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